『3年と1年のお話』

『3年と1年のお話』

さて、先日書いた二人の他に、更に今年は僕に強い印象を残した生徒がいました。

◼️「3年と1年の物語」

彼と出会ったのは、彼がまだ高校一年の時でした。

小学生の頃Vnetに来ていた彼は、高校になって再びやってきたというわけです。でも、ある意味それは最悪の再会だったかもしれない。というのも、彼はその時、とある進学塾で完全に打ちのめされ、英語が苦手でどうしようもないコンプレックスに陥ってしまっていたから。

頭ごなし、十把一絡げ、相当スパルタな指導を受けたようで、すっかり弱ってしまっていたのです。

そこで、焦らず「地味に」やっていこう‼︎ということになり、基礎的な文法からやがて難解な入試英文法までバリバリ解き進んで行きました。勿論地味に。

そして、決まったように、レッスンの最初の三十分は英語音読(Read Aloud)をやりました。

気がつくと2年生になり、英語は苦手科目どころか、むしろ得意科目になっていました。

ボロボロだったあの頃から、徐々に強くたくましい青年になっていきました。

3年生になり受験は医学部だけを狙うことになりました。しかし、残念ながら結果は不合格。浪人が決まった時、もう一年頑張るという連絡を受けました。

辛いことではあるけれど、人にはその人の進む時間があるようです。彼はその時間を受け入れ、生きた。

そして、今年。彼は慶應大・医学部と東京医科歯科大学に合格し、東京医科歯科大学に進学が決まりました。

うまくいってよかったじゃない、などと人は気軽に言うかもしれない。

でもね、当たり前のことですが、この世に、有り余る余裕を持って受験をする人など一人もいません。みんな何か抱えて悩んで苦しみながら学んでいます。そんな時間が僕らをたくましく成長させるのだと思う。

人は皆自分の時間を生きるんです。親も、まして他人には計り知れない時間を若者たちは生きている。

3年と1年後、顔つきもすっかり変わって大人になった彼が会いにきてくれました。苦しみを経験し、苦闘を経て、大人になったんだね。

僕は何よりもそれが嬉しい。

◼️3年の物語、そしてまだ続く

中学一年になったばかり、中学受験に挫折して、自身を少し失っていた頃、僕は彼と会いました。

何よりもまず、彼はとても素直な子なので、逆に心配になるぐらい幼い部分が抜けきれませんでした。

その彼が、今年、高校受験だったわけです。

僕が彼から学んだひとつは、決してひねくれることなく、一所懸命頑張るということ。

今、この時代、頑張るということが非常に言いにくい時代になりました。

「頑張る」は人に時として必要以上のプレッシャーを与えるので、できるだけ頑張らない方が、今はウケがいいわけです。

何事に対してもも、確かにリラックスが基本姿勢ですが、「頑張る」もある程度必要だよ。

昔、演劇の師匠から「必死に生きなさい」と言われたけれど、勿論舞台の上でね、でもそれだけじゃなく何事においても「必死」って大事だよな、と思う今日この頃です。

要領よく上手いことやって、苦労せず、カル〜くチョイチョイと合格したいと思っても、決していい結果は出ません。よしんば出たとしても、それは本人のためにはなりません。必要な試練を経ずして手に入れたものの価値は、自ずと低いからです。

必死に頑張る姿勢。時々、涙が頬を伝うくらい追い込まれても、カッコ悪いぐらいのたうち回り、決して諦めない必死に頑張る姿勢が、人生の価値を生むのだと僕は思う。

彼はそんな人でした。確かに途中弱気になったり、混乱したり、色々のことを経験しましたが、最後には勇気を持って受験に立ち向かっていきました。

結果は、残念ながら第一志望は駄目でした。

が、第二志望に合格。

悔しい気持ちを抱えました。でも、いい戦いを繰り広げると、結果は実に爽やかです。

今、その高校へ行く準備をしているわけですが、会う度に生き生きとした表情で、今後の生き方を語ってくれます。

そして、幼かった彼の表情が、心なしか「大人」びてきたのは気のせいでしょうか。

彼との、まずは前半の3年は終了しました。これから後半の3年を更に充実させたいと思います。そう、まだ人生は続くんです。

この物語でも、わかることは大事なのは結果なんかじゃなく「プロセス」なんだということ。上手いことやろう上手いことやろうとする前に、今を必死に生きれば、自分にふさわしい結果が付いて来る。そう考える方が良いのでは?僕はそう思います。

幸福は必死に生きたオマケです。

「結果だけが全て」という「新自由主義的欺瞞」からいち早く脱却し、真に有意義なプロセスを生きようする方へ精神と魂をシフトしていきたいものです。

今年もまた、多くの生徒から、沢山のことを教えられました!

ありがとう!

生きててよかった!!!!

『6年と3年のお話し』

 
『6年と3年のお話』
都内の桜が咲き始めたそうですね。
三月も後半にさしかかり、受験生の進路がほぼ決まったようです。
毎年受験生と供に過ごし、気がつけば春になり、一年が過ぎる。こんな暮らしを三十数年続けてきました。自分自身がそうだったから思うのですが、受験が終われば、結果が出れば、すべてが終わって振り出しに戻るような気がします。でも、果たしてそうなのだろうか?
先日、ある古い友人が「戻れるとしたら。いつの頃に戻りたい?」と質問してきました。いろいろ考えますね。小学生のあの頃や、高校受験や女の子にフラれた頃や、苦労した大学受験生の頃。。。それでも、結局どの時代にも僕は戻りたいとは思わなかった。
その時その時必死に生きてきたので、もう戻りたくないな。むしろ、ゆっくりでいいから前へ進みたい。チェーホフの登場人物ではありませんが、前へ前へ、と進みたい。振り返ることはあっても、戻ることはない。だから、また振りだしなんてこともありません。僕は今はそう思う。
今年は特に僕にとっては「6年」と「3年」と「1年」がキーワードでした。そのどれもが「前へ前へ進んで」気がつけば6年、3年、1年が経っていたというわけです。そして、それぞれに物語がある。
今日はまず「6年と3年の物語」をお話しします。
■6年の物語
彼と出会ったのは、中学一年生の頃でした。とても静かな子で、英語の音読も決して大きな声にはならず、どちらかというと囁くような優しい声で読んでくれます。READ ALOUDがこんなんでいいのかぁ?とは思いましたが、これが彼のスタイル。
クラブでは海洋生物に夢中で、海に魚を漁りにいっては仲間と美味しく頂いていたようです。そして、ニコ動も大好きという少年でした。
そんな彼は常にマイペースで、でも決してだらしなくなることもなく、規則正しく、淡々と月に四回のペースで英語のレッスンを続けました。
中学を終え、気がつけば、高校生になっていました。
背もどんどん伸びていきます。体育祭でかなり危険そうな騎馬戦の馬になり危険な眼にもあったような、ないような。。。
それでも彼の生活はマイペース。海に行ったり、ニコ動観たり。。。
彼は、おそらくこの三十年という時間の中で僕と一緒にもっとも多くの英文を読んだ生徒の一人です。そして、僕自身が英語のレッスンの中身をあれこれと改良を加えるきっかけを与えられた生徒でした。
そんな彼が、僕と出会ったときのことを、つい最近話してくれました。そして、彼の当時の気持ちをはじめて知りました。
「先生、僕は先生と出会ったとき、本当は英語に自身がなくて、苦手で苦手でどうしょうもなかったんです。どうしようかと思ったとき、先生と会って…」
えっ?と僕。
一度も苦手だなんて言わなかったし、そんな素振りもなかった。むしろ得意なんだと僕の方が思いこんでいた。だからこそ、その彼の言葉が、胸に突き刺さりました。思い出したんです。あの音読するときの彼の囁くような声を。
そうか。。。僕は彼がただ恥ずかしいのだと思っていたけれど、そうではなくて自信がなかったんだ。6年も経って、初めて知りました。
そして、その自信のない英語を実は6年かけて彼は人知れず克服していったのだと、僕ははじめて知らされました。
知らない人は、君をただ優秀な人だとか、頭のいい人、といった言い方で表現するかも知れない。
でも、僕は知っている。
君が、類い稀なほどの努力家であるということを。努力ですべての希望が叶うとは思わないが、努力が人を創るのだということを、僕は君から学びました。
がんばったね☆ありがとう!!
彼は今年、東京大学に入りました。
■3年の物語
彼女とは高校1年生の時に出会いました。
たしかお知り合いの方のご紹介だったと思います。彼女もまた、とても静かな子でした。僕が一人で大声でしゃべる、そんなレッスンでした。
はっきり言って「READ ALOUD(英語音読)」は大声でやる方が効果はあるんです、ほんとはね。でも、彼女は静かでした。
しかし、そんな彼女も月4回、一度も休むことなく3年間レッスンに通ってくれました。雨の日も雪の日も。
最初は学校の英語の予習をしていたんです。学校の英語のペーペーバックを一緒に音読するというのが基本のレッスン。それを一年継続し、その後徐々に独自の僕のカリキュラムでレッスンが進んでいきました。
彼女の最大の問題は、「特にやりたいことが見つからない」ということ。この悩みはけっこう今の多くの生徒が抱えている現代の問題でもあります。様々なことで苦労が足りないからとか、いろいろ言われますが、僕はどうも違うような気がする。選べないのには訳があると思うのです。恐らくそれは、傷つくことを恐れる傾向かな、と。
失敗を親も子の怖れるこの時代、たとえやりたいことを口に出しても、不可能なことの方が目につき怖くなってしまう。だったらいっそのことやりたいことを持たない方がいい。そんな時代の傾向があるんじゃないかと、思っています。
ところが、幸いなことに、彼女との三年間で徐々にではありますが、社会学や社会科学的な分野に興味を感じ始めてくれたようです。社会学等の文献を英語で読むことも多く、僕自身リベラルアーツのごとく、読む英文にプラスアルファで様々な話題を取り上げました。そして、目標や目的がなかなか見つからなかった彼女が大学を選ぶとき、社会学の方面を選んだのは三年間の集大成だな、思いました。
「この学科がやりたいです」と彼女が言った時、本当に嬉しかった。何しろ今だにこの時代では自分がやりたいことを自分で決心することが本当に難しいのですから。
彼女は立教、上智、早稲田に合格し、早稲田へ進学を決めました。
もちろん、社会科学を専攻します。
合格は嬉しい。
でも、本当に嬉しいのは、その過程です。燃えるような勉強の挙げ句の果てに「合格」はオマケのようにやってくる。
重要なのは、すべて「過程」なんだと思う。
要領が悪くても、一生懸命勉強する姿がダサくても、真面目ぶってと揶揄されても、コツコツ日々努力して高まっていく喜びがあればどってことない。
僕は今年も教えられました。
派手じゃなくても、しっかりと歩めば、そこに道ができ、光がさしてくる。
地味にスゴイんじゃありません。
地味がスゴイんです!
そして、to be continued!!!!!

英語音読と英語読み聞かせの可能性

「英語音読と英語読み聞かせの可能性」
 
新年も過ぎ、早くも一月も中頃を過ぎました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
年頭にあたり、今最も大切だと思われることから、今年のブログを開始したいと思います。
実はこのところ、世の中の過度の英語偏重の影響か、幼稚園児や小学校低学年(一年~三年)のお子さんをお持ちのご父兄から相談を受けることが多くなりました。
中には、「もう日本語は必要なくなりそうなので、英語メインの教育を。。」などと仰られる方もいらっしゃいます。
ですが、それはとても危険で危ういことのように思われます。第一言語を失って良いはずがないからです。この世の中がどれほど英語の国際語性を煽ろうと、母国語を失うということは自らの寄って立つアイデンティティを放棄することに他なりません。これは発展や成長ではなく、むしろ喪失であり退行です。
従って、早期教育とは言いますが、日本語が不完全な、あまりに幼いうちから外国語を押し付け教育しようとすることは決して良いことばかりではない、ということはぜひ心に留めておいていただきたいと思います。
そうした前提を踏まえた上で、幼稚園児から小学校低学年までの英語教育はどうしたらよいのか?今、それは大きな社会問題になりつつあります。そこで、僕はそれに対する新たな方法をここで提案したいと思います。
それが「お母さん/お父さんの英語絵本読み聞かせ」という方法です。
現在、数年ぶりに復活した「英語音読・READ ALOUD! 日曜クラス」が国分寺のカフェスローで行われております。
このレッスンは僕自身のこれまでの経験と、その実感から生まれました。
このメソッドは実に単純明快です。
幼い子供にただ英語を無理矢理教え込もうするよりも、むしろお母さんやお父さん自身が英語音読(Read Aloud)を習い身につけることで、家庭内で英語音読が継続的に行えるというシステムです。
ご家庭で日本語の絵本の読み聞かせの間に、英語の絵本を読み聞かせることで、ごく自然に、スムーズに英語の音の世界に移行できます。
僕自身、幼い頃、父やアメリカ人やカナダ人の宣教師さんの読んでくれるベッドタイム・ストーリーズを聞くことで、自然に英語の音の世界に誘われたのを思い出します。その思い出が、このメソッドにはつまっています。
母に平凡社の世界名作文学を読んでもらい、その傍らで父に当たり前のように読んでもらった英語の物語は、僕という人間の一部分を確実に形成していると思います。
早期教育というと、幼い子供たちに教えることを意味するようですが、そうではなく、親が学ぶことが早期教育になるという、こんなことがもっと一般的になればいいのにと切に願います。
小学校の三年以上になれば、日本語も徐々に固まりつつあり、外国語の習得も母国語の妨げにならないでしょう。そのぐらいから通常の英語音読Read Aloudの個人レッスン等に進んでも遅すぎることはありません。むしろ、小学3年生からV-netのRead Aloudをぜひご活用ください。
その学年以前のお子さんをお持ちの親御さんで、英語の開始とその修得が気になる方は、ぜひ親のための英語音読レッスンをお勧めいたします。
このようなレッスンの良い点は、お母さんやお父さんが英語音読レッスンしている間、お子さんも一緒に遊びのように参加できるという部分ですね。
ぜひ子連れで英語音読をしましょう!
そのお母さんと一緒に遊んでいる雰囲気こそが貴重な早期教育なのですから。」
「親のための英語音読レッスン」の詳細は下記をご覧ください:
国分寺カフェスロー
英語音読・READ ALOUD! 日曜クラス

焚火の会に行ったぜ☆

今朝は(現在30日、午後9時22分)千葉は大栄にて恒例の「焚火の会」が行われました。

僕はかつて奥多摩での「大人の焚火の会」に出て以来の参加、しかも千葉は初でありました。
時折霧雨の降る中、しかしそんなことはどうでもいいくらい、流石に焚き火は良かった。
気がつくと僕は、今回は秋刀魚を焼く係になって焚火というより「炭火の人」になってましたよ。はい。
で、まずざっくりと時系列で振り返ってみましょうね☆
朝8:45
東京駅集合
 
そして、10:16東京駅出発
これはバス隊の人たち☆
 
そして、目的地「大栄」到着
 
 
ああ、秋刀魚を焼いた炭火と網ダヨ
 
やがて、、、、夜が来る
 
焚火の光は夜がいいんだよね☆
紅く限りなくオレンジ色に近い光を発する種火は、まるで宝石のようだ。
美味しいお肉も、最高の秋刀魚も、煙の香りもすべて素晴らしいけど、「火の色」は、格別でした。夜の焚火は味わうべき‼︎
 
人懐っこい犬君とも遊んだよ‼︎
 
温泉の休憩室でサザエさんと子どもたち!
焚火の後の温泉最高ーー‼︎‼︎
帰って参りました‼︎東京駅ィー‼︎
この風景もなかなかですな。

 

 
こうして東京駅へ帰って来たというわけ。
いやー楽しかったよ‼︎‼︎‼︎
まだ未体験の方へ☆
これからも続く「Vーnet焚火の会」
( ゚ ρ ゚ )ボーっとするのもよし、あれこれするのもよし、揺らめく炎を見つめながら自分自身の人間の部分を快復させたいものです。
受験の前に、まずは原始人から始めましょう‼︎‼︎‼︎‼︎
 
僕とバス隊として現地へ向かった若者たち☆
みんないい顔ヽ(=´▽`=)ノ
ありがとね☆(ゝω・)v

『不安』の話

この季節だから、あえて書くね☆
「不安」の話。

人間はいつだって不安とともにあるよね。
不安のない人生などあるはずがない。不安のない人間なんかいやしない。だから、ちゃんと不安になろうじゃないか。

この季節になるといつも思うのが、何故に人はそれほどむやみやたらに恐れるのだろうか、ということ。不安の中に留まり、自分の不安の原因と向き合うことなく、誤魔化したり知らんぷりしたりすればするほど、不安は悪化するんだな。不安は不安のままでいい。不安は緊張感を生むし、不安だから必死になれる。不安が、目を覚まさせる。不安は精神の強壮剤でもあるんだよ。
ただ不安感の中に閉じこもって、もう戦えないとうろたえるのは自分と向き合ってない証拠。むしろ不安と戦おうとするのではなく、不安と共に生きてください。
不安は、君の味方です。案外そんなもんです。

若い受験生だけが不安なのか?
いや、全世界の人間が、内に不安を秘めて生活しています。
年齢とともに不安は消え失せるかというと、そうでもない。むしろ、人間はその時々の状況に応じた不安感に苛まれるようです。そして苦境をひとつひとつ乗り越えていく。やはり、不安こそ人間の防衛本能であり、自らの身を助ける有益な反応だと思うのです。

秋は食欲の秋だったり、読書の秋だったり、文化の秋だったりしますし、紅葉も美しい季節でもあります。ですが、やはり不安になる季節でもあるんだよな。いっそ冬になれば気持ちも定まるんだけどね。

必死に苦闘できるエネルギー源として不安と共存していきましょう。
より良き明日は、不安を直視する勇気の向こう側にある。
この秋を有意義に生きていこうね!!!!
 
今度の日曜日は久々に僕も焚き火に参戦しまーす!!!!!楽しみぃ〜!!!!!!!!

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めったにない場所から、

夏が終わり、蝉の声も思い出したかのように、今だに微かに聴こえる今日。
台風も続けざまにやって来る。
まだどこか蒸し暑かったりするけれど、夏はやはり終わったのだと思う。
終わったよね?終わっただろう?

それにしても、今年の夏は例年よりはるかにきつい日々を送ることになった。
地方からも生徒がやって来て、そしていつもの生徒達もまた暑い中を熱心に西荻窪まで通っていただいた。
それでも、熱心にレッスンを続けるとそれはまるで夢のようだね。まるで夢のような「あっという間」の出来事さ。しかし、その濃密な空気は必ず人間を成長させるんだな。

このV-netという場所は、つくづく「めったにない場所」だと思うわけです。
何故なら教える側も教わる側も、基本的に学習を特別視しない、即ちアソビの一環だと捉えているのですよ。
なかなか、その本質に気づかないうちはV-netを塾だという生徒もおりますが、根本的に塾や予備校と違った場所ですね。だいたいここには時計というものがない。時間を気にしながら遊ぶことなど到底できない。遊べや遊べ。教師がふと自分の腕時計を見て頃合いを決めるのである。
そして、ここは他のレッスンの声やら怒鳴り声やら歌声やら泣き声笑い声なんでも筒抜けである。それがいいんだな。包み隠さず、お互いを知ることの良さは、学ぶことが遊ぶことと同義であるこの空間だからこそ生きてくる。

秋めいてくると、今年もまた受験の足音が木の葉の落ちる音と共に聞こえてくるだろう。しかし、決して僕らは焦らない。何故なら、勉強を楽しむから。人に押し付けられた勉強などクソ喰らえだ!楽しんでやるんだ!己を高め歓ばすためにやるんだ!見栄や体裁のためじゃない!自分の探求とその途上にあることがわかるから、頑張るんだ!
もし勉強が勉強のままだったり、仕事が仕事のままだったりしたら、それは不幸なことだ。

良寛は言ったよ。
あの童のように、いつまでも夕暮れの中、鞠をついて遊んでいたい、と。

僕はV-netというこの場所で、できる限り生徒たちとレッスンという名の遊びをしていきたいと思う。あの良寛のように、夕暮れの中で鞠をつくように、遊びたい。
仕事や勉強が、アソビの一種であることに気がつく場所。
それが、V-netだね。めったにない場所。

みんな!遊ぼうぜ!!!

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『嗚呼、英語の発音問題よ!』

ご無沙汰でした!!!!

本当に久しぶりのブログ更新です。昨年度は近年では希に見る多忙の年となり、ブログもアップできない情けない有様でした。ごめん。許してね。

というわけで、今後はもう少し頻繁に更新していく所存です。

今回は、近年度々質問される英語の「発音問題」に関して、一言申しておこうと思います。

まず、受験的視点から見ますと、発音問題は「某国の陰謀」だと、都市伝説的にハッキリ言い放っておきませふ。日本以外の一体どの国の英語の問題にアクセント問題や発音問題が出題されますか?他にはないのです。センター試験と一部の学校の入試問題以外今や発音問題は出ません。それは、何故か?意味ないからです。そもそも、米国と英国では発音は異なります。たとえばセンター試験の発音問題は米国式なのでしょうか?それとも英国式なのでしょうか?いや、そもそも、ごく一般的な発音なのだから、偏りのない、いわゆる日本語で言えば「標準語」のテストのようなものだとでも言うのでしょうか?ならば、東北出身の訛った日本語は日本語としては間違いなのでしょうか?。。。。。。。

僕はなにも屁理屈をこねているわけではありません。

日本の入学試験の英語で出題される発音問題の主旨の曖昧さとその目的の胡散臭さを問題にしているのです。

日本人は英語の発音がヘタクソだと、刷り込まれているんじゃありませんか?

あのめんどくさい発音問題が得意になれない日本人は、英語が一生無理とでも教え込みたいのでしょうか?

僕は発音問題が超得意などという人を見たことがないのですよ。ネイティブでも、発音できても、発音問題を間違わずに解答するのは難しいと思います。

例えばね、Canという単語がありますが、米国人は「キャン」ですが、英国人は「カン」に近い音になります。

母音の音が違います。

ハッキリ言いましょう。ひとつだけ正しい標準的な英語など、どこにもありません。それぞれの出自によって異なる英語を使うだけです。そして、好みの問題でもある。割と喉声になる米国風味が好きか、割に口の前気味に音を出すブリティッシュ風味が好みなのかで、すでに音は変わってしまうのです。

受験の発音問題は、ほどほどでよろしい。決して満点取ろうなどと思わなくて良いと思います。取れたらラッキー!取れなくても気にするな!と僕は言いたい。寧ろ、他の問題、特に長文で点数を稼げ!!

さて、とはいえ、発音は大切です。

それは、人は出せる音しか聞き取れないからです!!

実際に英語を運用するためには、ネイティブの真似から始まる「音の訓練」は必須です。

英語の母音は日本語以上に種類が豊富で、確かに難しい面もあると思います。ですが、僕が特に英語学習者に意識してもらいたいのは「子音」です。

日本語は母音を聞き取る言語なのに対し、英語は子音を聞き取る言語です。僕たち日本人はShをShiと発音します。 「i」を発音しちゃうんです。Shとシは母音の有る無しの違いなのです。英語のShには摩擦音はあっても母音は含みません。なので、CDでも良いですし、個人指導でも良いのですが、英語のレッスン、特に音読(Read Aloud!!)のようなレッスンのポイントは自分が子音をきちんと出せているかに注意したら、グ〜ンとレッスンの質は高まると思います。

その結果、耳が自然に日本語にはない英語特有の音を聞き分けてくれるようになります。いわゆる「英語耳」ですね。例えば、音と音がくっついてしまうリエゾンのような場合、Pick it up→ピッキラップに聞こえますが、元の文字が連想できるようになるはずです。

結論として言えることは、Read Aloudのような音読によって、英語のネイティブの音に慣れ親しむ必要は絶対にありますが、入学試験の発音問題と、実際の発音はかなり隔たりのあるものだと言わざるを得ません。その意味で、今後益々英語の試験における発音問題は消滅していくと思われます。が、徒に日本人の発音コンプレックスを刺激するこうした試験は、逆にわざとダラダラと何処かで出題され続けるのかもしれません。

発音記号はヒントですが、すべてではありません。むしろ、積極的に音を出さしてしまった方が良い。

そうです。恥ずかしがらずに大胆に音を出すことの方が、本物の語学学習であり、生涯自分の財産になるのは音と共に身についたその言語特有の「リズム」です!

リズムはアクセントなんかじゃありません。リズムはその言語の持つ鼓動のようなもの。僕らに日本語のリズムがあるように、英語には英語の気持ちの良いリズムがある。そのリズムを体得しましょう!

意図的に吹き込まれ、捏造された発音コンプレックスを吹き飛ばしましょう!

楽しむのが一番!!!