『6年と3年のお話』
都内の桜が咲き始めたそうですね。
三月も後半にさしかかり、受験生の進路がほぼ決まったようです。
毎年受験生と供に過ごし、気がつけば春になり、一年が過ぎる。こんな暮らしを三十数年続けてきました。自分自身がそうだったから思うのですが、受験が終われば、結果が出れば、すべてが終わって振り出しに戻るような気がします。でも、果たしてそうなのだろうか?
先日、ある古い友人が「戻れるとしたら。いつの頃に戻りたい?」と質問してきました。いろいろ考えますね。小学生のあの頃や、高校受験や女の子にフラれた頃や、苦労した大学受験生の頃。。。それでも、結局どの時代にも僕は戻りたいとは思わなかった。
その時その時必死に生きてきたので、もう戻りたくないな。むしろ、ゆっくりでいいから前へ進みたい。チェーホフの登場人物ではありませんが、前へ前へ、と進みたい。振り返ることはあっても、戻ることはない。だから、また振りだしなんてこともありません。僕は今はそう思う。
今年は特に僕にとっては「6年」と「3年」と「1年」がキーワードでした。そのどれもが「前へ前へ進んで」気がつけば6年、3年、1年が経っていたというわけです。そして、それぞれに物語がある。
今日はまず「6年と3年の物語」をお話しします。
■6年の物語
彼と出会ったのは、中学一年生の頃でした。とても静かな子で、英語の音読も決して大きな声にはならず、どちらかというと囁くような優しい声で読んでくれます。READ ALOUDがこんなんでいいのかぁ?とは思いましたが、これが彼のスタイル。
クラブでは海洋生物に夢中で、海に魚を漁りにいっては仲間と美味しく頂いていたようです。そして、ニコ動も大好きという少年でした。
そんな彼は常にマイペースで、でも決してだらしなくなることもなく、規則正しく、淡々と月に四回のペースで英語のレッスンを続けました。
中学を終え、気がつけば、高校生になっていました。
背もどんどん伸びていきます。体育祭でかなり危険そうな騎馬戦の馬になり危険な眼にもあったような、ないような。。。
それでも彼の生活はマイペース。海に行ったり、ニコ動観たり。。。
彼は、おそらくこの三十年という時間の中で僕と一緒にもっとも多くの英文を読んだ生徒の一人です。そして、僕自身が英語のレッスンの中身をあれこれと改良を加えるきっかけを与えられた生徒でした。
そんな彼が、僕と出会ったときのことを、つい最近話してくれました。そして、彼の当時の気持ちをはじめて知りました。
「先生、僕は先生と出会ったとき、本当は英語に自身がなくて、苦手で苦手でどうしょうもなかったんです。どうしようかと思ったとき、先生と会って…」
えっ?と僕。
一度も苦手だなんて言わなかったし、そんな素振りもなかった。むしろ得意なんだと僕の方が思いこんでいた。だからこそ、その彼の言葉が、胸に突き刺さりました。思い出したんです。あの音読するときの彼の囁くような声を。
そうか。。。僕は彼がただ恥ずかしいのだと思っていたけれど、そうではなくて自信がなかったんだ。6年も経って、初めて知りました。
そして、その自信のない英語を実は6年かけて彼は人知れず克服していったのだと、僕ははじめて知らされました。
知らない人は、君をただ優秀な人だとか、頭のいい人、といった言い方で表現するかも知れない。
でも、僕は知っている。
君が、類い稀なほどの努力家であるということを。努力ですべての希望が叶うとは思わないが、努力が人を創るのだということを、僕は君から学びました。
がんばったね☆ありがとう!!
彼は今年、東京大学に入りました。
■3年の物語
彼女とは高校1年生の時に出会いました。
たしかお知り合いの方のご紹介だったと思います。彼女もまた、とても静かな子でした。僕が一人で大声でしゃべる、そんなレッスンでした。
はっきり言って「READ ALOUD(英語音読)」は大声でやる方が効果はあるんです、ほんとはね。でも、彼女は静かでした。
しかし、そんな彼女も月4回、一度も休むことなく3年間レッスンに通ってくれました。雨の日も雪の日も。
最初は学校の英語の予習をしていたんです。学校の英語のペーペーバックを一緒に音読するというのが基本のレッスン。それを一年継続し、その後徐々に独自の僕のカリキュラムでレッスンが進んでいきました。
彼女の最大の問題は、「特にやりたいことが見つからない」ということ。この悩みはけっこう今の多くの生徒が抱えている現代の問題でもあります。様々なことで苦労が足りないからとか、いろいろ言われますが、僕はどうも違うような気がする。選べないのには訳があると思うのです。恐らくそれは、傷つくことを恐れる傾向かな、と。
失敗を親も子の怖れるこの時代、たとえやりたいことを口に出しても、不可能なことの方が目につき怖くなってしまう。だったらいっそのことやりたいことを持たない方がいい。そんな時代の傾向があるんじゃないかと、思っています。
ところが、幸いなことに、彼女との三年間で徐々にではありますが、社会学や社会科学的な分野に興味を感じ始めてくれたようです。社会学等の文献を英語で読むことも多く、僕自身リベラルアーツのごとく、読む英文にプラスアルファで様々な話題を取り上げました。そして、目標や目的がなかなか見つからなかった彼女が大学を選ぶとき、社会学の方面を選んだのは三年間の集大成だな、思いました。
「この学科がやりたいです」と彼女が言った時、本当に嬉しかった。何しろ今だにこの時代では自分がやりたいことを自分で決心することが本当に難しいのですから。
彼女は立教、上智、早稲田に合格し、早稲田へ進学を決めました。
もちろん、社会科学を専攻します。
合格は嬉しい。
でも、本当に嬉しいのは、その過程です。燃えるような勉強の挙げ句の果てに「合格」はオマケのようにやってくる。
重要なのは、すべて「過程」なんだと思う。
要領が悪くても、一生懸命勉強する姿がダサくても、真面目ぶってと揶揄されても、コツコツ日々努力して高まっていく喜びがあればどってことない。
僕は今年も教えられました。
派手じゃなくても、しっかりと歩めば、そこに道ができ、光がさしてくる。
地味にスゴイんじゃありません。
地味がスゴイんです!
そして、to be continued!!!!!