焚火の会に行ったぜ☆

今朝は(現在30日、午後9時22分)千葉は大栄にて恒例の「焚火の会」が行われました。

僕はかつて奥多摩での「大人の焚火の会」に出て以来の参加、しかも千葉は初でありました。
時折霧雨の降る中、しかしそんなことはどうでもいいくらい、流石に焚き火は良かった。
気がつくと僕は、今回は秋刀魚を焼く係になって焚火というより「炭火の人」になってましたよ。はい。
で、まずざっくりと時系列で振り返ってみましょうね☆
朝8:45
東京駅集合
 
そして、10:16東京駅出発
これはバス隊の人たち☆
 
そして、目的地「大栄」到着
 
 
ああ、秋刀魚を焼いた炭火と網ダヨ
 
やがて、、、、夜が来る
 
焚火の光は夜がいいんだよね☆
紅く限りなくオレンジ色に近い光を発する種火は、まるで宝石のようだ。
美味しいお肉も、最高の秋刀魚も、煙の香りもすべて素晴らしいけど、「火の色」は、格別でした。夜の焚火は味わうべき‼︎
 
人懐っこい犬君とも遊んだよ‼︎
 
温泉の休憩室でサザエさんと子どもたち!
焚火の後の温泉最高ーー‼︎‼︎
帰って参りました‼︎東京駅ィー‼︎
この風景もなかなかですな。

 

 
こうして東京駅へ帰って来たというわけ。
いやー楽しかったよ‼︎‼︎‼︎
まだ未体験の方へ☆
これからも続く「Vーnet焚火の会」
( ゚ ρ ゚ )ボーっとするのもよし、あれこれするのもよし、揺らめく炎を見つめながら自分自身の人間の部分を快復させたいものです。
受験の前に、まずは原始人から始めましょう‼︎‼︎‼︎‼︎
 
僕とバス隊として現地へ向かった若者たち☆
みんないい顔ヽ(=´▽`=)ノ
ありがとね☆(ゝω・)v

『不安』の話

この季節だから、あえて書くね☆
「不安」の話。

人間はいつだって不安とともにあるよね。
不安のない人生などあるはずがない。不安のない人間なんかいやしない。だから、ちゃんと不安になろうじゃないか。

この季節になるといつも思うのが、何故に人はそれほどむやみやたらに恐れるのだろうか、ということ。不安の中に留まり、自分の不安の原因と向き合うことなく、誤魔化したり知らんぷりしたりすればするほど、不安は悪化するんだな。不安は不安のままでいい。不安は緊張感を生むし、不安だから必死になれる。不安が、目を覚まさせる。不安は精神の強壮剤でもあるんだよ。
ただ不安感の中に閉じこもって、もう戦えないとうろたえるのは自分と向き合ってない証拠。むしろ不安と戦おうとするのではなく、不安と共に生きてください。
不安は、君の味方です。案外そんなもんです。

若い受験生だけが不安なのか?
いや、全世界の人間が、内に不安を秘めて生活しています。
年齢とともに不安は消え失せるかというと、そうでもない。むしろ、人間はその時々の状況に応じた不安感に苛まれるようです。そして苦境をひとつひとつ乗り越えていく。やはり、不安こそ人間の防衛本能であり、自らの身を助ける有益な反応だと思うのです。

秋は食欲の秋だったり、読書の秋だったり、文化の秋だったりしますし、紅葉も美しい季節でもあります。ですが、やはり不安になる季節でもあるんだよな。いっそ冬になれば気持ちも定まるんだけどね。

必死に苦闘できるエネルギー源として不安と共存していきましょう。
より良き明日は、不安を直視する勇気の向こう側にある。
この秋を有意義に生きていこうね!!!!
 
今度の日曜日は久々に僕も焚き火に参戦しまーす!!!!!楽しみぃ〜!!!!!!!!

via PressSync

めったにない場所から、

夏が終わり、蝉の声も思い出したかのように、今だに微かに聴こえる今日。
台風も続けざまにやって来る。
まだどこか蒸し暑かったりするけれど、夏はやはり終わったのだと思う。
終わったよね?終わっただろう?

それにしても、今年の夏は例年よりはるかにきつい日々を送ることになった。
地方からも生徒がやって来て、そしていつもの生徒達もまた暑い中を熱心に西荻窪まで通っていただいた。
それでも、熱心にレッスンを続けるとそれはまるで夢のようだね。まるで夢のような「あっという間」の出来事さ。しかし、その濃密な空気は必ず人間を成長させるんだな。

このV-netという場所は、つくづく「めったにない場所」だと思うわけです。
何故なら教える側も教わる側も、基本的に学習を特別視しない、即ちアソビの一環だと捉えているのですよ。
なかなか、その本質に気づかないうちはV-netを塾だという生徒もおりますが、根本的に塾や予備校と違った場所ですね。だいたいここには時計というものがない。時間を気にしながら遊ぶことなど到底できない。遊べや遊べ。教師がふと自分の腕時計を見て頃合いを決めるのである。
そして、ここは他のレッスンの声やら怒鳴り声やら歌声やら泣き声笑い声なんでも筒抜けである。それがいいんだな。包み隠さず、お互いを知ることの良さは、学ぶことが遊ぶことと同義であるこの空間だからこそ生きてくる。

秋めいてくると、今年もまた受験の足音が木の葉の落ちる音と共に聞こえてくるだろう。しかし、決して僕らは焦らない。何故なら、勉強を楽しむから。人に押し付けられた勉強などクソ喰らえだ!楽しんでやるんだ!己を高め歓ばすためにやるんだ!見栄や体裁のためじゃない!自分の探求とその途上にあることがわかるから、頑張るんだ!
もし勉強が勉強のままだったり、仕事が仕事のままだったりしたら、それは不幸なことだ。

良寛は言ったよ。
あの童のように、いつまでも夕暮れの中、鞠をついて遊んでいたい、と。

僕はV-netというこの場所で、できる限り生徒たちとレッスンという名の遊びをしていきたいと思う。あの良寛のように、夕暮れの中で鞠をつくように、遊びたい。
仕事や勉強が、アソビの一種であることに気がつく場所。
それが、V-netだね。めったにない場所。

みんな!遊ぼうぜ!!!

via PressSync

『嗚呼、英語の発音問題よ!』

ご無沙汰でした!!!!

本当に久しぶりのブログ更新です。昨年度は近年では希に見る多忙の年となり、ブログもアップできない情けない有様でした。ごめん。許してね。

というわけで、今後はもう少し頻繁に更新していく所存です。

今回は、近年度々質問される英語の「発音問題」に関して、一言申しておこうと思います。

まず、受験的視点から見ますと、発音問題は「某国の陰謀」だと、都市伝説的にハッキリ言い放っておきませふ。日本以外の一体どの国の英語の問題にアクセント問題や発音問題が出題されますか?他にはないのです。センター試験と一部の学校の入試問題以外今や発音問題は出ません。それは、何故か?意味ないからです。そもそも、米国と英国では発音は異なります。たとえばセンター試験の発音問題は米国式なのでしょうか?それとも英国式なのでしょうか?いや、そもそも、ごく一般的な発音なのだから、偏りのない、いわゆる日本語で言えば「標準語」のテストのようなものだとでも言うのでしょうか?ならば、東北出身の訛った日本語は日本語としては間違いなのでしょうか?。。。。。。。

僕はなにも屁理屈をこねているわけではありません。

日本の入学試験の英語で出題される発音問題の主旨の曖昧さとその目的の胡散臭さを問題にしているのです。

日本人は英語の発音がヘタクソだと、刷り込まれているんじゃありませんか?

あのめんどくさい発音問題が得意になれない日本人は、英語が一生無理とでも教え込みたいのでしょうか?

僕は発音問題が超得意などという人を見たことがないのですよ。ネイティブでも、発音できても、発音問題を間違わずに解答するのは難しいと思います。

例えばね、Canという単語がありますが、米国人は「キャン」ですが、英国人は「カン」に近い音になります。

母音の音が違います。

ハッキリ言いましょう。ひとつだけ正しい標準的な英語など、どこにもありません。それぞれの出自によって異なる英語を使うだけです。そして、好みの問題でもある。割と喉声になる米国風味が好きか、割に口の前気味に音を出すブリティッシュ風味が好みなのかで、すでに音は変わってしまうのです。

受験の発音問題は、ほどほどでよろしい。決して満点取ろうなどと思わなくて良いと思います。取れたらラッキー!取れなくても気にするな!と僕は言いたい。寧ろ、他の問題、特に長文で点数を稼げ!!

さて、とはいえ、発音は大切です。

それは、人は出せる音しか聞き取れないからです!!

実際に英語を運用するためには、ネイティブの真似から始まる「音の訓練」は必須です。

英語の母音は日本語以上に種類が豊富で、確かに難しい面もあると思います。ですが、僕が特に英語学習者に意識してもらいたいのは「子音」です。

日本語は母音を聞き取る言語なのに対し、英語は子音を聞き取る言語です。僕たち日本人はShをShiと発音します。 「i」を発音しちゃうんです。Shとシは母音の有る無しの違いなのです。英語のShには摩擦音はあっても母音は含みません。なので、CDでも良いですし、個人指導でも良いのですが、英語のレッスン、特に音読(Read Aloud!!)のようなレッスンのポイントは自分が子音をきちんと出せているかに注意したら、グ〜ンとレッスンの質は高まると思います。

その結果、耳が自然に日本語にはない英語特有の音を聞き分けてくれるようになります。いわゆる「英語耳」ですね。例えば、音と音がくっついてしまうリエゾンのような場合、Pick it up→ピッキラップに聞こえますが、元の文字が連想できるようになるはずです。

結論として言えることは、Read Aloudのような音読によって、英語のネイティブの音に慣れ親しむ必要は絶対にありますが、入学試験の発音問題と、実際の発音はかなり隔たりのあるものだと言わざるを得ません。その意味で、今後益々英語の試験における発音問題は消滅していくと思われます。が、徒に日本人の発音コンプレックスを刺激するこうした試験は、逆にわざとダラダラと何処かで出題され続けるのかもしれません。

発音記号はヒントですが、すべてではありません。むしろ、積極的に音を出さしてしまった方が良い。

そうです。恥ずかしがらずに大胆に音を出すことの方が、本物の語学学習であり、生涯自分の財産になるのは音と共に身についたその言語特有の「リズム」です!

リズムはアクセントなんかじゃありません。リズムはその言語の持つ鼓動のようなもの。僕らに日本語のリズムがあるように、英語には英語の気持ちの良いリズムがある。そのリズムを体得しましょう!

意図的に吹き込まれ、捏造された発音コンプレックスを吹き飛ばしましょう!

楽しむのが一番!!!

夏スペ・タイフ〜ン

 

台風8号接近!

台風8号接近!

 

早くも今日から「夏休みスペシャル」レッスンが開始しました☆

これから別のタイミングで始まる夏スペ・レッスンもあります。がしかし、台風が接近している今日。まさにこのタイミングで、ひとクラス開始です!

やっぱり三時間っていうのもあっという間ですね。
なにしろ、集中の仕方が違います。英語を使って学びつつ遊びつつ力を付けつつ発展しつつ…。
はじめ小さかった声も、徐々に大きくなり、だんだん基準の声の大きさが二割増しか三割増しになってくる。すると、音読は効果を発してくるんだな。
僕のクラスは歌も歌うし、文法もきっちりやります。そして、徹底的な音読☆これに尽きる!

V-netの重要な理念に「国語力」があります。
今、我が国は変な方向に進み始め、やたらに早期教育で英語!と言った発言を耳にしますし、そんな方向で文科省は動いているようですが、ハッキリ言ってそうした言説に惑わされてゃいけません。
何と言っても我々日本人にとってまず大事なのは国語力です。間違いありません。
だとすると、英語は?
英語は重要なツールであり、修得すべき第二言語です。

だからといって、ネイティブになる必要などありませんし、ネイティブが偉いわけでもありません。
大事なことは、遠慮せず、間違いを恐れず、恥ずかしがらずに、英語を使い込み使い倒すことです。
日本語のベースがあって、初めて第二言語は深みを増すでしょう。
日本語のベースがあって、初めて英語及び多言語の修得は意味を帯びてきます。

何度も繰り返し言ってきたことですが、言語は暗記ではなく「慣れ」です。

それには、僕らが日本語を習得したときのように、あの幼子のように、恥ずかしがらずに大声で音読することです!!
己の声に耳を澄ますことです!!
誰よりもまず、己自身の声は、己自身で聞きたいものです。
これをフィードバックと言います。
音読とは声をフィードバックさせ、意味世界を自分の声を通して立体化させる技のことです。

さぁ!明日は台風が東京直撃だそうですが、なんとか夏スペの第二回をやり遂げたいと思います!

明日も、待ってるぜ!!!

セッツ☆ってなに???というお話

「なんで、セッツなんですか?」って訊かれたので、答えようではあ〜りませんか!

セッツとは「摂津」でも「節津」でも「拙詰」でもありませんョ。

On your mark! Get set! Go!:「位置について!ヨーイ!どん!」
のGet set!の「set!=セッツ!」です!!!

すなわち、「行くぞ!」ぐらいの感じかな???

つまり「行くぞ!」先生なわけです。

史上最大の台風(?)らしい台風8号が本州に接近しつつある今、「行くぞ!」って吠えても、「おいおい、どこに行くんだ?」という気は少々しますが、いいんです!

今週もまた全力で駆け抜けようと思います!

嬉しいことに、夏の様々なスペシャルイベント、及びスペシャル講座に続々お申し込みがあるようです☆
いいねぇ!燃えてきます!!!
これは、走り出さなきゃいけないね。じっとしていたのでは、良い夏は過ごせません。やれることを最大限にやって楽しみたい!夢中になって取り組んで、気がついたら秋だった、ぐらいがちょうどいいのでしょう。

さぁ、セッツ(行くぞ!)先生は、今日も駆け巡ります。
眼鏡を掛け直しながら、燃えますよ!

セッツはSet!だよ!

20140707-114717-42437091.jpg

風を撮る!

 

 

雨が降る雨が降る…と警戒ばかりしていてもしょうがない。

雨が降ったら濡れていこうじゃないの!

そんな折、さっき、書斎で作業中、ふと外を見ると風が吹いていた。しかも、気持ちの良い緑を揺らすそよ風だ。

僕は、手元にあったスマホで19秒ばかり動画を撮ってみた。

たった19秒の動画に風が映ればいいな!そんなことを不意に思って撮ってみたんだ。

 

昔は、すべて記憶していたもんだけど、今は19秒を撮っておくことができる。保存する気になれば保存も出来る。でも、一瞬の想い出は自分だけのもの。その時間、その場所で体験した者のみが味わうことが出来るもの。

当たり前の風景が、19秒に切り撮ってみると、二度と戻らぬ万華鏡の世界に僕らは暮らしていることがよく分かるんだな。世界は万華鏡だよ。二度と同じ事を繰り返すことのない万華鏡だ。その意味で、今こうして同時代を同空間で共有し合っている僕らは、皆同じこの世界の住人に過ぎない。上も下もない。イデオロギーもない。偉いも偉くないもない。悲しいほど皆同じ運命を持っているのだ。それは、後100年、もしくは150年したら、今のこの世界に生きる者は誰一人いないという現実。

生とは、その短い時間の中で、できる限り努力して味わうこと以外に、何があるだろう?

風を19秒間だけ、撮ってみて、僕は世界がいつまでも同じであり続けるという幻想から抜け出せた気がする。

経済学者がなんと言おうと、金融で世界ができているわけじゃない!銀行が世界を創り出しているわけじゃない。政府が世界を保障しているわけじゃない。

世界は、僕らが創り出しているんだ。

刻々と変わるこの世界を、僕らは毎秒毎秒創り出しているんだ。

 

風をもっと撮りたくなってきた!!